「結婚」とは「印籠」のようなもの~バレンタインデーに行われた同性婚訴訟全国一斉提訴に寄せて
今週のお題「わたしとバレンタインデー」に合わせて現在進行形で作っているチョコ系お菓子のことでも…と思ったが、バレンタイン絡みならこっちの方が大事な話だと思うので、お菓子のことは置いておく。
2019年2月14日、「同性同士のパートナーであっても『結婚する』という選択肢を選べるように」と、全国各地で13組のカップルが国を一斉に提訴した。
この訴訟を応援するための署名活動も行われていて、現在(2019/2/14 19時現在)もまだ署名可能なよう。
ひとりの性的少数者として、今日はこの話題に触れておこうと決めていた。
決めていたんだけれども、うまく言葉にまとめられるかはあまり自信がないのが正直なところ。
この記事では、日本で婚姻届けを提出し結婚した一人の性的少数者の、「実際に結婚をしてみてどう感じたのか」という雑感を書こうと思う。
LGBTと言っても、性的少数者(セクシュアルマイノリティ)といっても、他のあらゆる言い方をしたとしても、個々人で考え方・とらえ方は違うということを念頭に読んでいただければ。
- 前提としてひだかこうのセクシュアリティ
- 性的少数者だから結婚できない、というわけではない
- 半同棲~婚姻制度を利用し始めてまでの変化
- 法律婚は「パッケージ」である
- 「結婚」とはパートナーシップの印籠である
- 小さくても差別は差別
- 「結婚」の選択の自由を意識の上でも
- その先にあってほしい議論
前提としてひだかこうのセクシュアリティ
当ブログのABOUTにもざっくり書いているが、大きなくくりでいうとひだかは「トランスジェンダー」である。
トランスジェンダーというと「性別適合手術をして戸籍を変更する」というイメージとセットで語られることが多いが、全員が全員そうというわけではない。
ひだかは「性別適合手術をして戸籍を変更する」に当てはまらないトランスジェンダーだ。
出生時から戸籍上の性別は女だし、これから男に変わる予定もない。というか、結婚したのでもう変えられない。(この辺が気になる人は「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」を調べてみてください。機会があれば、当ブログでも詳しく触れます)
性自認はXジェンダーに近い
女ではない。ということは断言する。いつでも断言できる。
ただ、男であると断言できるかというと、場合によるというか、ケースによるというか…で、「男女の二択しかないなら男だな」という感じ。
正確に言えば「男である」と名乗るのも気疲れすることがあるので、Xジェンダー(男女どちらの性のあり方にも当てはまらない生き方を選ぶ人)に近いのだと思う。
性指向はパンセクシュアル
そして性指向は「パンセクシュアル(全性愛者)」である。バイセクシュアル(両性愛者)との区別をよく質問されるのだけれど、
- 【バイセク】男か女かどちらかであれば性指向の対象となる(男か女かであることにこだわる)
- 【パンセク】性指向の対象になるかならないかの基準として、性別にこだわりがない(あるいはこだわりが薄い)。中性的な人も性指向の対象になる場合も、パンセクを名乗る場合がある。
という感じ。
自分は「性別にこだわりがない」という説明が一番しっくりくる。
多くの人が性指向の対象になるか・ならないかの基準として性別を置いているところに、違う基準がある感じ。いまだにこの基準をうまく言語化できないけれど…。
人間とみればだれでも「好き!=恋愛したい」となるわけではなく、恋愛したいに結びつく好きと全く結びつかない好きが確かに存在している。
まとめると
一言でまとめるなら「男性よりのXジェンダーで、パンセクシュアル」ということになる。
項目ごとに整理すると以下だ。
- 【戸籍(制度上の)性別)】女性
- 【性自認】男性よりのXジェンダー
- 【性指向】パンセクシュアル(全性愛者)。性指向になる・ならないの基準に性別を用いない。
この3項目だけで説明しきれているかというと、セクシュアリティはもっと複雑で多次元的に展開しているものであり、不十分な説明であると思う。
しかも、セクシュアリティというものは、一生変わらないもの…なんてことはない。
セクシュアリティは流動的で、この記事を自分で見返したときに「セク今と違うしw」となる可能性だってある。(このことはまた書きたい)
ただ、今回は「結婚」についてがメインテーマなので、最低限必要なこの3項目のみにとどめておきたい。
性的少数者だから結婚できない、というわけではない
リアルでもたまに「え、(ひだかが)結婚できるんですか?」と聞かれることがあるので、念のため補足しておく。
そもそも制度的に結婚できない(カバーされていない)状態に陥りやすいのが、性的少数者であることは確かだと思うが、絶対に結婚できないわけではない。
現に、自分が結婚しているし。
今回「同性婚訴訟」となっていることからもわかるように、同性同士のカップルが結婚することは想定されていなかったため、制度の上でカバーされておらず結婚できないという現状がある。
ただし、この同性同士というのは「戸籍上同性同士」のことである。
自分が結婚できたのは、「これからずっと一緒に生きていきましょう」となった現パートナーが戸籍上異性に当たる相手だったからでしかない。
パートナーは「シスジェンダー男性(戸籍の性別、性自認ともに男性)」なので、ひだかのセクシュアリティがどうであれ、ひだかとのパートナ関係は戸籍上異性カップルだ。
だから結婚できた。互いの性自認を照らし合わせると、「男性」と「男性よりのXジェンダー」という、性自認的には異性のカップルと言い切れなくても結婚できた。
過去にシスジェンダー女性(戸籍の性別、性自認ともに女性)とお付き合いしたことがある。
彼女との関係が続いて入れば、「女性」と「男性よりのXジェンダー」という今よりも異性同士のカップルに近い関係だったが、戸籍上は同性同士になるため結婚は選びたくても選べなかった。
記事上部でリンクを張った署名にはもちろん署名させていただいたのだが、自分が同性婚に賛成する理由の一つとして、生活実態に関係なく結婚できる現実があるのに、制度上の性別だけである特定層が婚姻制度から排除されていることが不均衡であるとしか思えなかったから、というのがある。
この思いは、自分自身が婚姻制度でパートナーシップを守られる側になってから、より一層強くなった。
半同棲~婚姻制度を利用し始めてまでの変化
一緒に暮らしていくことを意識し始めたあたりの頃からを振り返ってみたい。
半同棲期
互いに一人暮らしであったが、大半をどちらかの自宅で過ごしていたころ。
区切りをつけて同棲し始めることへの同意を確認してからは、二人分まとめて申し込めるものは一緒に申し込むようになった。
このころ二人そろってノートパソコンを買い替えたのだが、その支払いをパートナーのクレジットカードにまとめたのが一番額が大きいだろうか。
当たり前だが、クレジットカードは本人名義のものしか使えない。
窓口で手続きをしたのだが「パートナーの名義で二人分申し込むのであれば、家族などでなくてもよい」とのことだった。
パートナーの同意のもと(ひだかの支払い分はパートナーの口座に後日振り込んだ)、二人分のパソコン及び関連代金をパートナーのクレジットカードで支払った。
そして後日。
よくある「このプランを一緒に申し込めば安くなるよ!(初月無料だから、いらなければあとで自分で解約してね)」パターンで価格を抑えたので、そのおまけプランの解約手続きが必要だった。
たまたま自分の方が時間があったので、二人分の解約手続きをひだかがしようとしたのである。
電話して前述の契約の経緯を説明し、代理で解約手続きをお願いしたいと申し出たが、案の定ダメだった。
名義人本人でないとできない、ご家族なら代理手続き可能ですが…とのこと。
まあ、このころは制度上他人だし「もしできたら楽だよな」で電話をしたので、後日パートナー本人に解約手続きをしてもらった。
同棲期
自分たちで決めていた区切りを迎えたので、同棲を始めた。
もちろん、まだ制度上は他人同士である。
ひだかの外見は「人によっては第一印象男」「人によっては迷うくらい」なのだが、声はまんま女性である。ホルモンもしてないので、そらそうなのだが。
二人で出かけるとたまに怪訝そうな視線を感じることがあるが、ひだかが喋れば一発でその視線が消える。
つまり、喜ばしくもなんもないのだが、他者からは「普通の」男女のカップルと認識されるということだ。
(他者からの無粋な視線、態度をぶつけられないこと等はもちろん喜ばしい)
一緒に暮らし始めたということで、半同棲期のパソコンのように、「二人分をどちらかの名義で申し込む」ということが増えた。収入のことなどを鑑みて、大半がパートナー名義である。
そして契約にかかわる手続きを、名義人ではないがひだかがやれた方が便利だよな…という場面が再び訪れた。
パソコンの時に一度断られているので、この時もダメもとでひだかが電話をかけてみた。
結論から言うと、手続きができてしまった。
何度も言うが、まだ制度上は他人である。
住んでいる家に関することであれば、同居人として届け出ているのでカップルでなくてもできるのではないかと予測する。(そもそもの入居時のハードルの高さの違いはある)
けれど、それ以外の家に関係しない「二人の関係性を届け出ていないこと」に関しても、代理の手続きができてしまった。
- 一緒に住んでいること
- パートナーであること
を説明する必要はあったが、電話越しの口頭説明だけでOKだった。
半同棲のころは名義人とのつながりを確認するため(?)の、名義人の個人情報の質問すらしてもらえなかったのに。
何かトラブルがあった場合は後日名義人本人に確認が行くのだろうけども、拍子抜けするレベルで代理手続きが通ってしまった。
いくつかこのような手続きをしたのだが、いまだに引っかかっている言葉がある。
「つまり奥様なわけですよね、なら大丈夫ですよ」
奥様だと認識される声だったから、代理手続きできたのだろうか。
ちなみに、同じ意味合いの言葉は複数箇所から言われた。
代理手続きができた理由は、「一緒に住んでいるから」だけではない気がする。
婚姻届けを出してから
ここはもう詳しく書くまでもないと思う。
同棲していたころ、制度上他人なのに「つまり奥様」と認識されたから、制度上は他人の頃でも代理手続きができた。
それならば、もっと簡単に代理手続きできるようになるのでは?と思って、試しに使ってみた言葉がある。
「名義は夫なんですが…」
戸籍上の続柄は間違いなく夫なのだが、自分だけでなくパートナーも性別役割を想起させる言葉を自分たちにあてはめないタイプなので、普段夫だ妻だなんて言ったことがなく、違和感がありすぎて変な笑いをこらえるのに必死だった。もちろん、ひだかの性自認的にも「妻」とそれに類する言葉は使いたくない。
けれども、「夫」という婚姻関係を想起させる言葉の効果はてきめんだった。
- 一緒に住んでいること
- パートナーであること
すら説明せずに、代理手続きに勧めたのである。(もちろん、必要な時は名義人の個人情報確認があるが)
法律婚は「パッケージ」である
法律として、制度としての「結婚」が何なのかについては、以下の記事がわかりやすかった。
記事中で南川弁護士が
…意外と皆さんもあまり深く考えたり意識していことがないかもしれませんが、異性同士で法律婚する場合には、当たり前過ぎてほとんど意識しない権利や利益、機能が「法律婚」には自動的にパッケージで付いてくるのです。
と述べられているが、「パッケージである」ということは実際に婚姻届けを受理され、結婚して、ひしひしと実感する。
ここまでで述べた代理手続きが簡単であるという例は、パッケージの中のほんの一部分でしかない。
制度に関することはこの記事なんかよりもずっと詳しい上記記事を見ていただくとして。
「結婚」とはパートナーシップの印籠である
実際に結婚して、法律婚の恩恵を受けて、「結婚」は水戸黄門さまが掲げる印籠のようなものだなと感じた。
「名義は夫」という「結婚していますよ」と察せさせる言葉を出したら、代理手続きがスムーズにいったのが、いい例かと。
この時も手続きは電話。顔の見えない口頭のやり取りのみ。
実際に結婚しているという証明は一切していないし、なんなら「結婚している」と明言すらしていない。
劇中で出会う人々のほとんどは水戸黄門さまの顔を知らないはずだ。
けれど、あの印籠は信用できるもの(水戸黄門が持っているもの)というのが常識として広く周知されているから、「これが目に入らぬか!」と掲げるだけで「この方は水戸黄門さまである」と信じてしまう。
その印籠が本物であるという証明は、一切されていなくても。
結婚してそう…と想像さえできれば、顔の見えない赤の他人であってもパートナー関係にあることを信じてもらえるわけである。
もちろん非常に大きな契約だったりすればもっと厳しくて、制度上婚姻関係にあると証明しても代理手続きは難しくなるだろうが、日常生活の上ではそのような場面はほとんどない。
多くの場合で、
- 法律婚が可能な組み合わせである
- 婚姻関係を察することのできる言動がある
だけで、公的な婚姻関係を証明する手続きを踏まずとも、法律婚の恩恵を受けられてしまうのだ。
日常の小さなことであればあるほど、場合によっては「法律婚が可能な組み合わせである」だけでも恩恵が受けられてしまう場合がある。
小さくても差別は差別
代理で荷物を受け取ったり、代理で手続きをしたり、夫婦(カップル)だからと割引を受けられたり…一つ一つは小さなことだが、法律婚を選べる(選べそうだと思われる)立場であるから受けられる恩恵は数多くある。
きっと、恩恵を受けることに慣れてきてしまった自分では、気が付けなくなっていることもあるだろう。
ひとつひとつのことは小さくて、だからひとつひとつは恩恵がなくても大きく困ることがなくて…工夫すれば何とかなってしまうかもしれないし、実際に工夫してらっしゃる方も多く存在するはずだ。
「結婚するかしないかを選べない」ということがそもそもとても大きな差別であるのだが、それに付随する日常の小さな差別の存在も忘れずにいたい。
「結婚」の選択の自由を意識の上でも
今回の同性婚訴訟がなされる上で、1点気を付けて考えなければならないなと思う点がある。
先ほど引用した記事「同性婚? 必要ないでしょ」という反対意見を違憲訴訟の弁護団にぶつけてみた - 弁護士ドットコムでも述べられているように、この訴訟の趣旨は「結婚する・しないの選択肢をすべての人に」というものだ。
「そこまでして結婚したいのか?」という人がいますが、別にすべての同性カップルに結婚を推奨しているわけではなく、そもそも選択肢として存在しないのがおかしいという考えです。無理に結婚をする必要はありません。ただ、必要とする人にその権利をあげれば良い。
「同性婚? 必要ないでしょ」という反対意見を違憲訴訟の弁護団にぶつけてみた - 弁護士ドットコム 「弁護団が「結婚の自由をすべての人に」と掲げる理由」より
「制度上に選択肢があるかどうか」という点においては、この話題の中心は戸籍上(制度上)同性同士のカップルである。
しかし現実として、「結婚するかしないかの選択肢を」ということは、戸籍上異性同士のカップルもまだまだ議論されなければならない。
制度上選択肢が用意されていても、周囲から結婚に関する圧力のある言葉を投げかけられる場合がある。
いつになったら結婚するのか…といった「結婚しろ」という圧力。
結婚に向いてないよ…といった「結婚すべきでない」という圧力。
これらの言葉が存在しているままでは、制度上選択肢があっても、当人の本意とする選択肢を選べないケースが出てきてしまう。
結婚の自由をすべての人に。
一言補うなら、結婚に関する選択の自由をすべての人に。
「同性婚」と話題になっている訴訟だが、結婚そのもののあり方の議論の活発化につながればいいなと思う。
その先にあってほしい議論
婚姻関係、ひいては家族の在り方について性別の組み合わせ以外の点についても、どんどん議論になっていってほしい。
すでに多くの方が動いていらっしゃる、ふうふ別姓についてもそうだ。(あえてひらがなで)
個人的には、なぜ結婚(という名の個人同士の連帯による共同体の結成)が二人組でないといけないのか、という点も長年の疑問である。
あと社会通念的なものに対する疑問になるが、なぜ結婚(という名の個人同士の連帯による共同体の結成)は「愛し合っている者同士(多くの場合性的にも愛し合っていることを前提とする)」でするものとされるのか、という点も長年の疑問である。
選択肢が増えた方が、便利だと思うんだけどなあ…。